仙石原の小さな旅館の長男として生まれた窪澤圭さん(昭和45・1970年11月21日~)は現在、4つの宿、「おくど茶寮利休庵」「金の竹 仙石原」「金乃竹塔ノ澤」「松坂屋本店」の代表取締役を務めているが、26歳で箱根に戻り、わずか20数年でここまで力を伸ばすに至った仕事に対する考え方、そしてそれまでの日々の話は非常に興味深い。
開口一番、圭さんから出た言葉は、「子どもの頃から家にいるのがイヤで、何しろ外に出たかった。箱根も好きではありませんでした」。
東京の大学には新幹線を使って家から通うことになったが、2~3か月もすると車に教科書や着替えなど一切合切詰め込んで、ほとんど家には帰らなかったという。卒業後は旅行代理店HISに就職。一生サラリーマンとして過ごすと決めた。小学生の頃から“将来は何か起業しよう”という想いがあった圭さんは、まずは社会人としてどこまでやれるか見極めて、タイミング見て起業しようと考えたのだそうだ。
当時の旅館「富士荘」(現・おくど茶寮利休庵)は、父・吉幸さん、母・幸子さんと妹の三人で経営していたが、会社勤め3年半が過ぎた時に、吉幸さんから箱根に戻ってくるようにと電話が来た。
「帰るのは本当にイヤでしたね。まるで切腹させられるような気分でした(笑)」。
しかし、戻ることを避けられないと考えた圭さんは、「家を継ぐのはイヤだが、起業の足掛かりとして、死ぬ気でやろう。中途半端はよそう」と発想転換をした。
「といって、戻った初日から包丁を持たされ、調理場に入る日々。母の手元を見たり、“面白い奴が帰ってきたぞ”と毎日やってくる近所の魚屋やうなぎ屋のおじさんたちから包丁の使い方を教えてもらったり…。包丁さばきがうまくなるまで、8年位かかったかな。それに誰も信じてくれないけれど、本当に金がなかったから、部屋の改装や庭作り、経理まで全部一人でやりましたよ」。
ここからスタートし、“死ぬ気で働けば世の中から金はもらえる”という信念で仕事に励むうちに、稼働率は100パーセントとなった。売上は驚異的に伸びていき、近くの保養所が閉所するので買い取らないかという話が来た時も、金融機関から融資を受けることができた。これが『金の竹 仙石原』であり、男性目線でリノベーションした新感覚の旅館は、評判を呼んだ。
『金乃竹塔ノ沢』は、出山の鉄橋の下にある吊り橋の奥にあるが、もともとここにあったホテルの経営者が次々に替わり、最終的に裏山を含め大々的なリゾート開発が進められようとしていた所だ。
「この場所にホテルを持ちたいと、まるで言霊のように心の中でつぶやいていたんですが、なかなかそれは難しくて…。しかしある日、開発計画が中止になったという話を聞いて、取得にチャレンジしました」。“言霊”は形になった。
「何か決断するときに、神様というか、運命というか、見えない力が後押ししてくれているようにも感じています」と語る圭さんが芦之湯にある江戸時代から続く老舗旅館・松坂屋本店の経営に携わることになった経緯にもその力が働いたようだ。
「松坂屋本店が他の人に経営を託するような話を知った時、松坂屋本店という暖簾を守りたい。この旅館の歴史の深さを知らない人には、任せられないと思ったんです」。
現在、仙石原温泉旅館ホテル組合長、仙石原観光協会副会長を務めている圭さんは、仙石原すすき祭りをはじめ地域のイベントなどに積極的に力を尽くしている。また、町の観光施設・箱根湿生花園の運営に今年(2019年)秋まで約3年半携わり、ここに長く咲き続けてきた花々を守ってきた。
「箱根は世界的な観光地ですが、避暑地でもあり別荘地としての歴史もあります。その灯を消さないように、本当にお客様が喜んでくれるような静かなイベント、しずしずとしたものをこれからは探していきたいですね」。
“箱根がイヤで帰りたくなかった”という圭さんだが、実は、箱根をとても愛し、守りたいと思っている人であると、話を聞きながら強く感じた。
【松坂屋本店】
■〒250-0523神奈川県足柄下郡箱根町芦之湯57
■電話番号:0460‐83‐6511
■アクセス:箱根湯本駅より箱根町・元箱根方面行きバス約35分「芦の湯」下車徒歩約3分。
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