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箱根の名水で作る箱根の新名産「生麩、湯葉」角山俊夫(かくやま としお)さん  株式会社角山代表取締役

標高333m。箱根山のほぼ中腹、浅間山(せんげんやま)の山裾に抱かれた大平台は、江戸時代から続く箱根細工の産地として知られていたが、昭和26(1951)年に宮ノ下から引き湯をして温泉場としての歴史が始まった。職人の里として開けてきたこのまちにはいまも素朴でのどかな空気が流れ、アットホームな温泉場として常連客も多い。

 そして何より大平台の自慢は、水の良さ。標高902mの幾層にも重なる地形を通って湧き出る水は、小田原北条氏に姫君が化粧水に使ったとも、豊臣秀吉が小田原攻めの際に立ち寄った時に茶の湯にも使ったとも伝えられ、「姫の水」と呼ばれている。また、明治時代になっても明治天皇の皇后・昭憲皇太后の化粧水として献上された記録が残っている名水である。

 この大平台の名水を使って生麩と湯葉を作っているのが、「株式会社角山」の代表取締役・角山俊夫さん(昭和38・1963年7月14日~)である。俊夫さんは築地生まれ。生後間もなく大平台に来てこの地で育ったが、まずは、「箱根 角山」のルーツから紹介しよう。

 祖父・政治(まさじ)さんは、日本橋の市場にあった生麩と湯葉の店で番頭を務めていたが、大正12(1923)年に起きた関東大震災で市場が閉鎖。翌年、築地に新しい市場が開場されることになり、それを機に独立し、京都の職人や料理人から製造技術を伝授してもらって大正13(1924)年に生麩、湯葉の専門店「角山本店」を創業。また同時に築地本願寺の隣に旅館も開業したが、政治さんは俊夫さんの父・正俊さんが幼い頃に逝去し、その後は祖母・カネさんが店の切り盛りし多忙な日々を送っていた。やがて時間の余裕ができるようになったカネさんは、大平台温泉にたびたび静養に訪れるようになったという。そして、「そんなに大平台が気に入ったら、土地を買って別荘で旅館でも建てたら」と勧められたカネさんはこの地に土地を持つことになった。

「本店は、伯父(清一さん)が継ぎましたから、次男の父が大平台で築地と同じような仕事をすることになったんです」と俊夫さん。それが現在の「箱根 角山」の始まりである。

 俊夫さんは、大学卒業後、テレビ番組の視聴率やラジオ番組の聴取率をはじめとするメディアリサーチを手掛ける株式会社ビデオ・リサーチに就職。

「業種にはもちろん興味はありましたが、この会社を選んだ一番の理由は、築地に近かったことかな。父の実家の本店には小さい頃からよく行っていましたし、自分にとってはしっくり馴染む場所だったんです。昼休みには、伯母がやっていた旅館で休んだりしていました(笑)」。

結婚もして7年間ほど東京暮らしをしていた俊夫さんに、母・千代子さんから父・正俊さんが体調を崩したので帰ってくるようにと連絡が来た。

「姉が二人いますが、家業を継ぐのは長男の私しかいません。家内(美千代さん)には、

選択の余地はないよと話して、戻ってきたわけです。

いきなり知らない業務に就くということだったらきつかったかもしれませんが、仕事自体はもちろんよく知っていましたから、自然の流れです。また、学生時代には暮などに伯父の店の手伝いをさせられていたことが、いまの礎になったように思います」。

箱根でも屈指の名水を使った「角山」の商品の質の良さはいうまでもない。

「大平台のこの土地はたまたま祖母が手に入れたものですが、それが名水の里であったということは、偶然だったにしろ幸運でした」。

まさにこの地で生麩、湯葉を作ることになり、箱根の新名産として知られるようになったのは、「箱根 角山」にとって運命の糸が導いた至極当然の成り行きだったに違いない。

「箱根 角山」は、箱根登山鉄道の大平台駅から徒歩約7分。今年、2019年の台風19号で多大な被害を受けた箱根登山電車は現在運休中だ。

「早く復旧して、箱根全体に元気が戻ってほしいと心から願っています」。

【箱根 角山】

■〒250-0405神奈川県足柄下郡箱根町大平台431

■電話:0460‐82-2604

■アクセス:箱根湯本駅から箱根町方面行きバス、または箱根登山電車「大平台駅」下車徒歩約7分。


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