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日本画との運命の出会い、そして導かれて箱根へ 成川 實(なるかわ みのる)さん 成川美術館館主

元箱根の高台に建つ「成川美術館」。窓の外には、清澄な水を湛えた芦ノ湖と赤い平和の鳥居、そしてその向こうには秀麗な富士山…。それはまるで一幅の絵画を思わせる風景である。

 成川美術館館主・成川實さん(昭和15・1940年8月18日~)は、若い頃、見えない糸に導かれたかのように日本画のコレクションを始め、そして、日本画にこれ以上ふさわしい場所はまたとないこの絶景の地に、昭和63(1988)年、47歳で個人の美術館を建てることになった。

 成川さんが日本画を集めるきっかけになったのは、新築した応接間に何か飾るものが欲しいと、銀座の画廊巡りをしていたときに目に留まった一枚の日本画だった。

「幼い頃から絵は好きでしたが、学校教育では日本画について教えてもらうことはなく、実際に見る機会もありませんでしたが、この時画廊で見た加藤栄三の作品『鵜飼』の色彩の素晴らしさ、そして“日本の美”に圧倒されました。さっそく購入し、壁に架けたこの絵を、仕事に疲れて帰宅し眺めていると、澄み切った夜空の青の色彩と鵜飼をする灯火が何とも言えず、その日本の情景に心がとても癒されました」。それがコレクション第一号となった。

 サラリーマンだった成川さんは、「給料をもらっても特に使いたいものはなかったので」と、少しずつ倹約し、ほとんどを定期預金にしていたという。それを証券会社に勤めている友人に預けたところ、その投資がうまく回った。

「といって、私は贅沢は一切していません。そのほとんどを日本画のコレクションのために使いました」。

当初は、平山郁夫、高山辰雄、杉山寧、山本丘人、加山又造など、大家たちの作品を買い求めた。「これらを自分一人で楽しむのではなく、多くの人たちの見ていただきたいという想いが強くなっていきました」。

見えない運命の糸は、美術館建設という方向に成川さんを向かわせたのである。美術館建設はどこにするか。

「東京にいると、仕事もあるし、ザワザワして落ち着かない。建てるなら、やはり風光明媚なところに」と、候補地を軽井沢と箱根に定めた。そして、いま美術館が建つこの場所に出合ったのである。

美術館開館後は、成川さんと同時代を生きている現代日本画の作家たちの作品も積極的に買い求めた。

「大家(たいか)たちの作品はある程度集めましたので、まだほとんど世に知られていない作家を応援したくなったのです。いくら技量があっても、名が売れていないと、極端な話、絵の具代にも困るほどということも多々あります。しかし、“絵を描きたい”という彼らの熱意と集中力、渾身を込めて描いた作品には、本当に心が打たれるものがあります。そこに、“応援したい”という気持ちが湧いたのです。現在、コレクション数は約4,000点。

「名を成した大家たちの作品は、どこの美術館でも見る機会が多いですが、現代日本画を展示する美術館は少ない。“いまを生きている作家の作品”を、一番の主題に置いています」。

「“私たちと同時代を生きている画家たち”の作品は、非常に素晴らしいものがありますので、ぜひこの美術館で現代日本画に触れていただき、多くの皆さまにも応援していただきたいと心から念願しています」。

 成川美術館の敷地内には、推定樹齢3000年、樹高40メートル、幹回り8.5メートルという「大王杉」が、生き生きと葉を繁らせている。福岡県にある大王杉の別称は、「行者の父」。同地では、かつて修験者たちが入山する時に杉を植栽する習わしがあり、大きく育った杉が「行者杉」と呼ばれているとのこと。箱根山も、古代に神山をご神体とする山岳信仰が生まれ、多くの修験者たちが修行を重ねた修験道の聖地であった。箱根の大王杉もその修験者たちによって植えられたのかもしれないが、芦ノ湖が誕生したのが約3100年前。樹齢から考えると、この大王杉は、芦ノ湖を眺めながら、ゆったりと悠久の時を過ごしてきたわけだ。そして、箱根の知られざるパワースポットともいえる生命力に満ちたこの巨木は、成川さんの「現代日本画を広く知ってもらいたい」という無私の想いを大きく見守っているようである。

【箱根・芦ノ湖 成川美術館】

■〒250-0522神奈川県足柄下郡箱根町元箱根570

■電話:0460-83-6828(箱根・芦ノ湖 成川美術館)

■アクセス:箱根湯本駅から箱根登山バス(H路線)約38分「元箱根港」下車、徒歩約1分。


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