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オリジナルメニュー「豆腐かつ煮定食」が大人気!田村洋一(たむら よういち)さん 田むら銀かつ亭代表取締役

箱根町強羅にある「田むら銀かつ亭」は、箱根の美味しい食事処として広く知られているが、箱根登山鉄道「強羅駅」下に位置する小さな店が人気店として成長したのは、二代目・田村洋一さん(昭和40・1965年6月27日~)の努力と決断があってのことだ。

 東京で板前をしていた洋一さんの父・音松さん(栃木県出身)は、当時、強羅駅前にあった「強羅ホテル」の副調理長として赴任。その後、近くの旅館「銀水」の主人・勝俣章吾さんが経営していた小料理屋「銀かつ亭」の店舗を借りて商売をすることになった。その際、「銀かつ亭」という名を残すように言われ、店名を「田むら銀かつ亭」と名付けた。

厨房で働く音松さんの姿を間近に見ながら育った洋一さんは、中学生の頃には父の跡を継ごうと考えていたという。

「友達の親御さんのほとんどは、旅館や土産物店、食事処など商売をやっている人たち。そういう環境で育ったので、いわゆるテレビなどで見る“サラリーマン”というのは、自分にとっては遠い存在、よその国の話でした」。

「大学進学も考えていたのですが、高校三年の夏に親父が過労で倒れて、続いて母(かずえさん)も入院。まだ中学生だった妹の弁当作りから別々の病院に入院していた両親の見舞いや家事の雑用などに追われ、高校もしばらく休まざるを得なくなり、諦めました」。

 そして高校卒業後、東京調理師振興会を通して板前修業に。

「調理師会の事務所の人が、『厳しいところで修行させてくれ』という親父の言葉を鵜呑みにして、当時三本指に入る位厳しいといわれていた日本橋の割烹料亭『伊勢定』に入れられました(笑)。休みは盆、暮、正月。給料は小遣い程度。忙しい時には睡眠時間は2~3時間。いわゆる丁稚奉公です」。

 辞めようと思ったことはないのですか?と尋ねると、

「いや、ありません。上にあがるしかないなと。私は結構要領もいいし、頭も回るし(笑)、親方にも可愛がられたので、二年目には下積みから上のポジションにトントンと上がっていきました」。

『伊勢定』に三年いた後、浅草の料亭「婦志多」で修行中に音松さんが再び倒れ、強羅に戻ることに。平成2(1990)年、洋一さん25歳の時である。

「『銀かつ亭』の『かつ』は、勝俣さんの『勝』に由来する名前なのですが、トンカツ屋と考える人が多かったし、メニューもうなぎ、焼き鳥、鍋料理とてんこ盛り。和食職人としてのプライドが許さず抵抗感もあったのですが、当初はまあ、仕方がないかなあと」。

 そんな時、近所の工務店のご主人から「『一店、一品。これがうちのオススメです』というメニュー作りをすることが必要。これから高齢者社会になることも視野に入れたものもね」というアドバイスを受けた。ちょうどその頃、歯を悪くしていた母・かずえさんが柔らかいものしか食べられなくなっていた。そこで、洋一さんは絹豆腐でトンカツ風の丼を作ってかずえさんに出したところ、大喜びされた。それをメニューに取り入れてみようと、近所の「銀豆腐」の主人と試行錯誤しながら調理しやすい“絞り豆腐”を作り、“豆腐かつ煮定食”として販売するとすぐに評判になり、テレビや雑誌にも取り上げられて、一躍、行列ができる店になった。

 いま洋一さんは、箱根強羅観光協会の専務理事や小田原箱根商工会議所一号議員、箱根DMOインバウンド部会長を務めるなど、多忙な日々だ。その中で考えることは、これからの箱根のあり方だという。

「今年の台風被害で箱根登山鉄道は運休。宮城野~仙石原間の道路も通行止めになりましたよね。これからの箱根に必要なのは、新しい交通インフラの構築だと思うんです。実は3年前位から“宮城野を新しい強羅への玄関口にして、宮城野から強羅までエスカレーターを作ろう”と提案しているんです。いまのところは鼻で笑われていますが、今回のような被害があると、『いや、それはいいかもしれない』と思ってくれるようになるといいのですが」。

 最初は「突拍子もない」と万人が考えたとしても、一人の強い想いが新しい歴史を創っていく。洋一さんの提案もその一つかもしれない。

【田むら銀かつ亭 本店】

■〒250‐0408神奈川県足柄下郡箱根町強羅

■電話:0460‐82‐1440

■アクセス:箱根登山鉄道「強羅駅」から徒歩約3分。

【田むら銀かつ亭小田原駅地下店】

■小田原駅東口駅前地下「HaRuNe小田原」内

■電話:0465‐22‐8989


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