好きな鉄道会社で生き生きと仕事に取り組む大木賢治さん(おおき たかはる)さん

箱根登山鉄道株式会社鉄道部課長・大木賢治さん(昭和46・1971年1月1日~)に初めてお会いしたのはネットの世界はまだ黎明期だった平成9(1997)年のことである。当時、私は江ノ島電鉄株式会社が立ち上げたばかりのHPの会議などに出席させていただいていた。長く箱根にかかわっている私はグループ会社の箱根登山鉄道にもぜひHPを設けてほしいと考え、知人のつてで同社にHPの企画を持ち込んだ。当初は「時期尚早なので、検討させていただきたい」と回答だったが、時を置かず「やってみることにしました」という連絡をいただいた。そこに登場したのが大木さんだった。大木さんをはじめ、同社の若い世代の社員もHPの必要性を会社にすでに提案していたところであり、HP制作の責任者として大木さんに白羽の矢が立ったのである。

平成10(1998)年に公式オープンした「すいっちばっく」の取材担当者として同HPが終了する約6年間、私は編集会議を含めて毎月約3回は大木さんと顔を合わせた。当時はまだフィルムの時代。大木さんは父・賢三さんから借りたという大きなカメラを肩にかけ、実に生き生きと箱根を歩き回り、取材の最後には町中の現像所に駆け込んでいた姿がいまも鮮明に浮かんでくるが、まずは彼が同社に入社した経緯を紹介しよう。

「小学校の卒業文集に『将来は鉄道会社に行きたい』というようなことを書きましたが、それは公務員の父の影響も大きかったと思います。公務員は多くの人を支える仕事であり、鉄道会社も人々の生活を支えるという意味において同じかなと。また、公務員は担当がいろいろ変わりますが、鉄道会社も多くの事業に携わっていますから部署が変わることによってさまざまなチャレンジができるというのはいいな、というのも根底にありました」。

大学ではCS(顧客満足)とQC(品質管理)を専攻。卒論を書く時に、各鉄道会社のCS活動について調査した。その中でまだ自分が携われる部分が多くあるように思われた会社・箱根登山鉄道を就職先に選んだ。しかし、入社して何か月かして新入社員が提出するレポートが大問題になったという。

「こんなことをやっていてダメだとか、ここがおかしいとかバンバン書いたんですよ。父にも見てもらったのですが『会社は若い人の意見を知りたいのだからいいのでは』と。ところが顔より先に名前が知られて、研修に行っても『大木って君か』と。でも『生意気』と切り捨てるのではなく、受け入れてくださった。いまでも結構好きなことをさせていただいており、ありがたいと思っています」。

“多くの部署を経験したい”と言っていた大木さんの名刺が手元にある。「企画営業推進部営業推進課」に始まり、「総務部」「自動車部」「鉄道部強羅管区管区長」「鉄道部湯本管区管区長」などその数約10枚。そのたびに経験は積み重なり、平成29(2017)年に放映された『関口宏のニッポン風土記―神奈川編』(BS TBS)で箱根の魅力を語ったり、平成30(2018)年秋に放映された『ブラタモリ―箱根の温泉』で登山電車に同乗して説明。

「箱根の知識はHPの取材などで得たものが多いのですが、深いものとは言えません。『広く、浅くは君だね』ということで、あの出演はあくまで消去法で僕が出演することになっただけなんですよ」と謙虚だが、箱根登山鉄道の次代を担う顔の一人になりつつあるように思う。

さて、今年(2019年)は箱根登山鉄道箱根湯本~強羅間営業開始から100年。また、スイス・レーティッシュ鉄道と姉妹鉄道提携して40年という節目にあたり、大木さんはプロジェクト推進に力を注いできた。しかし、10月12日に台風19号発生。インタビューはあわただしい中での2週間後。

「当日の夜は会社に詰めていました。翌朝、点検に入ったら想像以上の被害で言葉を失いました。現在お客様の足の確保に全力を尽くしているところですが、いま言えることは、電車が運休しているときにしかできないこと、つまり、この時間をこれからの100年のために使おうと社内では話し合っています。とにかく運転再開の初日のイメージを頭に浮かべながら頑張るしかないですね」。

これから大木さんの新たなチャレンジが始まる。