箱根の奥の深さを伝承したい     内田博(うちだ ひろし)さん

現在(2020年1月)、株式会社小田急エージェンシーのコミュニケーションデザイン局ICコミュニケーション部長・内田博さん(昭和45・1970年3月23日~)は、平成17(2005)年9月に入社した。小田急箱根グループの公式HP「箱根ナビ」が前年の7月に立ち上がって1年目のことである。

「それまで箱根にはあまり行ったこともなく、もちろん、ロマンスカーにもあまり乗ったことはありませんでした。いわば、箱根に関してはド素人でした」。

そんな内田さんが、小田急エージェンシーに入社し、箱根の仕事を10年以上担当。そして、直接的な箱根の仕事から離れたいま、改めて箱根に魅せられているのはなぜか…。

内田さんは、映像制作会社や情報通信の広告会社で仕事をしていたが、新しいことに挑戦してみようと、転職を決意。小田急エージェンシー他数社に履歴書を送ったが、小田急エージェンシーからは書類審査の段階で落とされたという。そこで、内定していた会社にサインに行こうとしていたその数日前に、小田急エージェンシーから「不採用の連絡は、当社の不手際でした。一度、お会いできませんか?」と、当時の企画制作局制作部長から連絡が入った。他社に入社しても、小田急エージェンシーと何かの縁があっておつきあいすることがあるかもしれないと考えた内田さんは、面会に出かけることにした。

「1時間位お話させていただいたのですが、役員の方などから『一緒にWeb部門の組織を一から構築していきませんか?』というお話をいただいたのです。小田急と全く縁がないのに、そこまで言っていただけることは光栄で、やりがいがあるかもと思い、入社させていただきました」。

『箱根ナビ』が開設されて1年。運営している小田急箱根ホールディングス株式会社から小田急エージェンシーに、今後の方向性に対する課題が出された。内田さんは、「こういう情報がほしい、こういう情報があったら嬉しい」という“箱根ド素人”の強みで企画を提案したところ、当時、小田急箱根ホールディングス営業統括部長だった金野祥治さんが、内田さんの提案を理解してくれて、背中を押してくれたという。

「会議室のホワイトボードにいろいろ書いて、『内田君、こうなんだよ』と、箱根のことを一番最初に教えてくれたのは金野さんたちです。その時の小田急箱根ホールディングスさんたちの熱量は本当にすごくて、こういうビジネスも面白いと感じさせられました」。

『箱根ナビ』立ち上げ当初はアドバイザー的な役割で会議に出せていただいていた私が内田さんに出会ったのはこの頃である。内田さんは、取材もお引き受けすることになった私の箱根取材に2~3年ほど同行してくださっていたが、いつも感じていたことは、箱根で出会う風景や事がらに新鮮な目で向き合い、好奇心を寄せ、素直に面白がる内田さんの柔軟な感性だった。たとえば、人形浄瑠璃や歌舞伎で演目の一つである「箱根霊験躄(いざり)仇討」は、箱根が舞台であり、私はそれを素材に歌と舞、琵琶、篠笛で綴る『~箱根の女人伝説~初花幻想』というイベントを平成18(2006)年5月に塔之沢の福住楼で開催した。その時にも駆けつけてビデオを撮ってくれるなど、内田さんの心の中にある“箱根知識ゼロの真っ白な真綿”は、日に日に箱根色に染まっていったように思う。

 そしていま、内田さんは、箱根の魅力は、目に見えたり、触れたりできる自然や温泉などだけでなく、取材で出会った人たちの想い一つひとつが深い輝きを放ち、箱根を創り上げていることに、ビジネスを離れた視点で個人的に掘り下げていきたいと考えている。


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