植物と郷土史の探究を通して箱根の魅力を語る 〜勝俣洋一さん〜
- 杉山洋美 (小堀昌子 / 内田博)
- 4月3日
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更新日:13 分前
勝俣さんとの出会いは、2024 年 1 月の箱根強羅公園内にある一色堂茶廊という喫茶店で会 った。大雄山最乗寺から頂いた片桐慈光尼の手記写しのコピーと平成の箱根人の冊子などを 持って勝俣さんに情報収集の協力依頼をした。
勝俣さんとは、一色堂茶廊で突然会ったわけではない。2023 年秋頃に、大雄山最乗寺で片桐慈光尼の手記写しを頂いたことがきっかけで、強羅開発に関する情報収集をするため、箱根強羅公園元園長の田代さんに意見を聞きたく、その年の 12 月に箱根を守る会の会合に出向 いた。当日は、会長の川﨑さんにご配慮頂き、名刺交換だけでなく、自己紹介と箱根オーラ ルヒストリーの活動に関しても説明をさせて頂いた。その場にいた勝俣洋次さんが後日、「宮城野に住む義理の兄で郷土史に詳しい人がいるので会ってみてはどうか」と連絡を頂いたのがきっかけだっ た。
勝俣洋一さんは、昭和 14 年 2 月 20 日箱根の旧宮城野村生まれの宮城野育ちで、箱根登山鉄 道に就職して、長きに渡って箱根強羅公園に勤めた。
昭和33年、箱根登山鉄道株式会社事業部所属の強羅公園に就職。
園内管理の傍ら、前年に建設された箱根自然博物館(箱根の動植物、昆虫等をジオラマやショウケースを用いた展示)に展示する種類、箱根産の蛇、イモリ、コウモリ等を捕獲して標本集めに没頭した日々。その合間に当時の強羅公園園長の田代園長の勧めで、「コケ類(蘚類/せんるい)の分類を研究したら」という提案でその道に入った。しかし、コケに関する図鑑や参考資料は皆無で、コケの分類は顕微鏡を用いて細胞の状況から見定めていくのが基本であった。「とても私一人で続けることは無理」、やむを得ず上野の国立科学博物館の故井上浩博士に師事を受け、毎月1回上野に出向き教えを受けた。新幹線もない時代なので、丸一日を要したことが懐かしく感じる。あまり捗らない状況の中で、箱根町教育委員会の研究紀要の一環で、箱根の蘚類を発刊して頂きほっとした。昭和40年8月、強羅公園園芸部を設立(後の箱根登山鉄道総合園芸事業所)。貸鉢業と山野草の卸しと小売業を主体とし、造園業をも営業の一端とした。そのような折、箱根町が仙石原に湿性花園の建設計画が持ち上がり、野性植物の納品とロックガーデン造成等に従事した。その直後、強羅公園で温室を4棟建設して熱帯石楠花館の植栽に携わり、東南アジアのインドネシア、マレーシア、フィリピン、パプアニューギニア、オーストラリアなどを数回訪問し、栽培状況や自生地の状況、入手状況などを調査した。その折、イギリスの王立植物園キュウガーデンを訪れた。熱帯石楠花の栽培は無論のこと、田代園長より依頼された一色七五郎氏の足跡、それは明治43年イギリスはロンドン郊外で催された日英博で一色七五郎氏が日本庭園か茶室を出典したとの情報があり、キュウガーデンや分園のウエクハーストを探したが、日英博に関する資料は全く見当たらなく、帰国してから国会図書館で当時の内務省が集約した資料より判明した。一色七五郎氏は大半が外国で過ごし、日本国内の実績は強羅公園のみで、当時西洋庭園が残存しているのは新宿御苑であった。キュウガーデンに日本庭園があるが、日英博の一部を移築したもので、勅使門とクルメツツジが残っている。日英博の資料には当時植民地であった朝鮮半島と台湾が存在していたが、会場には台湾館が展示されている。
また、小田原市内で園芸センターの開設時には、温帯植物に携わりたく、ヨーロッパの国々やアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドを歴訪し、イギリスとニュージーランドからの輸入を選択、多くの品種を輸入したような仕事にもしていた。※1
平成5年頃バブルが弾け、趣味家やコレクターが激変して自分の出番が終わった気がした。同時に平成7年4月に心筋梗塞を患い、3か月間入院した。56歳である。それ以後は温泉に関係する仕事を従事しながら温泉掘削の技術を強羅を含めた郷土の歴史の探求を始めて今日に至るが、植物関係を捨てがたく郷土の植物に伴う雑学に携わっていることが現状である。
このようなキャリアとお考えを持った勝俣さんからは、出会ってからは、強羅開発に関わる情報や資料を多く提供してもらった。 明治 19 年ごろに作成された箱根の地図には、当時の強羅地域は空白で何も記載されていないことや箱根登山鉄道が強羅の土地販売をしていた当時の区割り図には、片桐慈光尼が勤め ていた強羅館という旅館が記載されていること、明治 22 年に蛇骨川に八千代橋架設から底倉より木賀の温泉街を通り木賀新田まで人力車道の開削をした富士屋ホテル山口仙之助氏の尽力で強羅開発に大きな利点が生まれた、その開発で労働者も増え、賭博も行われ、以前に 比べて村の風紀が乱れたことなどの郷土史探究を続けている研究家らしい資料がどんどん現れて強羅開発のストーリーが出来上がっていった。
また、植物の専門家らしく、箱根のミズスギの探究など山内の植物に関する調査なども今も
なお研究されており、お会いするたびに面白いお話を頂き、いろんな情報を共有していただいている。今では、強羅開発時期に風紀の乱れに影響を受けていた青年たちを更生させる事業として行なった植林事業で植林されたスギやヒノキなどが間伐や管理されていない状態に危機感を持っている。厚木市にある神奈川県自然環境保全センター森林再生部県有林整備課に訪問し、問合せするなど探求家として活発に活動しており、明星が岳にある大文字焼の文字周辺の前衛の山にある針葉樹(クロマツ)、登山道の尾根筋の針葉樹(ヒノキ)や広葉樹の成長が著しいため、大文字焼の鑑賞エリアに影響が出ていることも危惧され伐採を願っている。
植林事業の再開発事業の提言とともに、日本を代表するリゾート地となった強羅地区に
建つ宿泊施設に滞在する観光客に対して、宮城野地区の箱根外輪山の広葉樹に植え替えて紅
葉などを楽しむ保養機能を強化することも提言している勝俣さんの話には、いつも箱根愛を感じている。
※1
ニュージーランドからの主な輸入品種
ヒマラヤ産の原種委性石楠花(コレクター向き種類)
キウイフルーツ苗(雌雄セット販売用10年位継続輸入)
ヒマラヤヤマボウシ、コルヌス、キャピタータ
マルチ用バーク、ヤーコン、ニュウサイラン、フェジョア、アボカド
イギリスからの主な輸入品種
ハイドランジャー アナベル (北米原産)
ハイドランジャー スノークイーン (北米原産)
メコノプシス、グランデイ、ヒマラヤの青いケシ
クリスマスローズ、アルパインプランツ、サンダーソニア、オウランチカ
※当時は、ネット販売もなく情報も少ない中で種類を決定し発注していた。

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