大事なモノを守り、つないでいく

嶋 幸嗣(しまこうじ)さん

宮ノ下の『嶋写真店』 4代目店主

昭和37年2月24年生/58歳/取材日:2020.9.1


ジョン・レノンなどの著名人をはじめ、富士屋ホテルや箱根の観光客を撮り続けてきた歴史ある嶋写真店を、三男坊ながらも引き継いだ嶋さん。『宮ノ下さんぽ』の仕掛け人で、観光客が通り過ぎるだけだった宮ノ下の良さを、歩いて知ってもらおうとガイド役も務める。「嫌なことは先にやる」がモットーで、先祖譲りの先見の目と行動力をもって、宮ノ下を守り続ける嶋さんの箱根人ストーリー。


●明治11年開業、嶋写真店の始まり

まずは嶋写真店の始まりからお話しますと、初代は、江戸時代から続いた堂ヶ島温泉の『江戸屋』という旅館の次男坊で、周吉が始めました。

幕末の頃に、ヨーロッパから日本の風景を撮影しに撮影隊が来ていました。箱根にその撮影隊が来た時に『江戸屋』旅館に泊まったので、次男坊の周吉が箱根のガイド役をやったようです。それがきっかけで写真に興味を持ったんでしょうね。ガイドをした後、周吉は横浜の写真館に修行に行っているんです。

また、その横浜で、富士屋ホテルの創業者と出会う機会があったのではないかと言われています。なぜかというと、富士屋ホテルの創業者の実家は横浜にあったんですね。昔は富士屋ホテルのところは藤屋旅館という旅館で、そこを買い取って、現在の富士屋ホテルを始めたんです。それが明治11年で、それと同じ年に周吉が嶋写真店を開業しているんです。当時の宮ノ下は山の中で、そこで写真屋をやってもお客がいないですから、おそらく富士屋ホテルの創業者の影響があったのではないかという話です。

今の国道1号線は、昔は裏街道だったんですが、当時の箱根七湯の御当主たちがお金を出し合って道を拡張したことで、今となってはこちらがメインの通りになったんですが、周吉はそういう活力ある明治開拓時の一人だったようです。


●兄二人を差しおいて写真店を継ぐことに

私は男三人兄弟の末っ子なんです。小さい頃から親の仕事の様子を見ながら現像もやっていました。

東京工芸大学のときは動画もやっていて、卒業する前に、『ひめゆりの塔』という映画撮影に参加しないかと誘われたこともあったのですが、参加したら何ヶ月も現場に入るので卒業できないと言われ、卒業したかったのでやめました。動画はその時点であきらめました。

大学を卒業して、すぐに実家に戻りました。二番目の兄は早くに家を出ていて、一番上の兄は実家にいましたが、兄二人を差しおいて「俺がお店をやるよ」と言って、親父は健在でしたが、私が30歳ごろにお店を継ぎました。

当時は、富士屋ホテルの婚礼はそんなになかった時代で、旅館の集合写真を撮ることがメインでした。婚礼が増えてきたのはここ20年くらいで、今は婚礼写真がメインになっています。

昔は観光地に行くと、団体の撮影用ひな壇が用意してあって、団体バスで来た人の集合写真を撮って売るという商売がありましたけど、今ではそういうのもなくなってきましたよね。写真が手近なものになって、紙媒体で残す人が少ないじゃないですか。写真屋さんはもう

よっぽどでないと生き残っていけない時代になってきましたね。


●歴史を大事する宮ノ下は、まさしく自分自身

若い頃は、地元の良さを全然考えてもいないじゃないですか。でも、住んでいるうちに、

宮ノ下の良さにだんだん気づき始めてきたんです。宮ノ下の良さって、古いものを大事に

していくことだと思うんですよね。

箱根の中でも、例えば上下水道などは一番初めに作ったんですよ。それは、富士屋ホテルさんや奈良屋旅館さんがあったからだと思うのですが、一番先に作ったのはいいけれど、今となっては一番古くなってしまいました。建物も、富士屋ホテルが来て、そこから西洋文化が入ってきて、最初は新しかったものが、他に新しいものがどんどん建って、時が経つにつれて古くなり、今では箱根の中でも宮ノ下が一番古い町という感じですよね。だけど、それを残して、昔の異国情緒を大事にしているのが宮ノ下なんですね。

うちの店も、歴史とかを知り始めたら「これはやっぱり残さなきゃならないもんだ」って感じ始めたんです。富士屋ホテルさんもそうですが、100年の歴史はお金を出して買えないじゃないですか。そういった歴史あるもので、残せるものは極力残そうって、自分の信念ではないけれど、宮ノ下を愛してるって言うか、まさに自分自身だっていう感覚が僕にはあるんです。表現しづらいのですが、古いものを大事にしたいっていう感覚が同じなんですよね。

 それと、宮ノ下は移住してきている人が多いので、よそから来る人に対して、ウェルカムな体質をもっているんです。よそから来る人に対しての怖さっていうのがない。自分なんかも子供の頃、外国人が歩いていたら平気で喋りかけたり、日本語でですよ(笑)、そういう体質がとても似ていると感じるんです。

 

●「セピア写真」へのこだわり

セピア写真を自分が始めてから30年ぐらい経ちます。当時は、全然流行っていなかったですが、たまたま注目を浴びることがあって、今に至っているんですね。

昔はインスタントカメラでもセピア写真がありましたが、あれは本当のセピア写真ではなくて、カラー写真でセピア色になる仕組みなんです。専門的になってしまいますが、セピアっていうのは白黒写真を1回退色させ、色を落としてから薬品で色をセピア色につけていくんです。カラー写真が始まる前からあった技法で、なぜそうするかと言うと、劣化しないからなんです。年月が経って色が変わった写真をセピア色と言ったりしますが、あれはただ単に劣化した写真なんです。

うちはそれを最初にやったんですよ。薬品は、塩素系や硫酸系を使うのですが、キットなどもその頃はなかったですから、自分で調合して本来の昔の技法で作ってました。今は薬品を入手できなくなったので、本来のセピア写真ではないですが、デジカメで撮ってセピア調の写真にしています。知っている人からは「なんでそんな面倒くさいことやってんの」って言われますけど、本来の長持ちするセピア写真の良さを説明しています。

「敢えて大きくは変えたくない」というのがそもそもあって、店もそうですし、宮ノ下の町もこのまま大事にして、守りたい、引き継ぎたいって思っています。ただ、新しいもので取り入れられるものは取り入れたいです。便利にするという意味合いではなくね。「便利なものだけが果たしていいのか」という思いもあるので、面倒くさいけれどもその過程や工程の良さを大事にしたいなと思っています。

セピア写真を始めた後、街づくりの一環で通りの名前を付けようということで、セピア通りって付けられたんです。後付けになっちゃうんですけど、夕刻の感じや建物が古めかしくて、大正ロマン的なイメージがセピアな感じで、いいんじゃないかなと思っています。


●趣味は、植物を育てること

趣味は体を動かすことで、ゴルフかな。あとは、花や野菜など、植物を育てることです。種が取れるものは、例えば、向日葵の花を咲かせてから、枯らして、種をとって、それをまた来年撒くという、種が取れる植物はみんなそれをやっているんですよ。お金かからないし、苗で買ったらきれいな花が咲くし早いかもしれないですが、買うのは違うと思っているんです。種から芽が出て、花が咲いて、種ができて、その種がまた次の代につないでいく、それが植物の本来のものだし、つないでいくってことを大事にしたいと思うです。


●嶋写真店のモットー「写心」を撮り続ける

お店の今後ですが、今までのことを引き続き、守り続けたいって思っています。

スタジオで写真を撮ることはそのまま続けて、データからアルバムにするようなサービスはやっていきますが、さらに新しいものに飛びついて何かやっていくことは敢えてしない、っていうのがあります。それはよその写真屋さんに任せて、あくまでも昔の形を残したいんですよね。他人がやってるからやろうとか、流行もあまり気にしないです。でも、違ったことをやりたい、違ったことを考えたい、それを誰よりも先にやりたいっていう性分はあります。

いつもお客さんには、どういう写真を撮ってほしいのか最初に聞いているんですが、うちに来る人は「古っぽくお願いします」って言う人がやっぱり多いですよね。昔ながらのバックをひいて、セピア写真などはまさしくそうですが、「古いイメージで写真を撮りたい」っていうニーズに応えてやっていこうと思います。今は、そういうスタジオはだいぶ減っていますから、ハウススタジオみたいな感じで、逆に古い形を残してやっていきたいですね。

親父からの嶋写真店のモットーとして、写真といっても、本来の真実を写す「写真」ではなく、格好つけて言うと人の心を写す「写心」を撮っていきたいというのはあります。私の仕事は人を撮影することですから、少しでもお客さんの笑っているところとか、話をしながら“心に残る写真”を撮っていきたいと思っています。