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先達が築いた箱根の良さを守り、発展させるために尽力する杉山幹雄(すぎやま みきお)さん 和心亭豊月代表取締役

駒ヶ岳の山裾に佇む「和心亭豊月」のご主人・杉山幹雄さん(昭和25・1950年1月7日~)は、47歳の時に箱根町議会議員になり、3期12年務めた。同時に、箱根町観光協会副会長の任も引き受けていたが、在任中に心を砕いたのは、“箱根という観光地をいかに広く国内外に知ってもらうか、先達が築いた箱根の歴史、文化、観光のノウハウをさらに発展させて継続させていくにはどうしたら良いか”ということだった。

 その足掛かりの一つとして、平成10(1998)年、箱根温泉旅館ホテル協同組合青年部の有志の皆さんと箱根インターネット協会を立ち上げ、「箱根全山」というサイトを開設した。現在、「箱根全山」は、箱根町観光協会の公式サイトとなり、広く利用されているが、当時は、まだWebを通して情報を発信するにはまだまだ黎明期であり、箱根では画期的な取り組みだった。私が杉山さんに出会ったのは、この頃である。

杉山さんは、私が編集を担当していた箱根町観光協会発行の冊子『箱根悠遊』の「箱根全山」での紹介や、『箱根悠遊』発行の継続、そして「はこね学生音楽祭」に対して温かく応援をしてくださった。また、5年前に私が立ち上げた情報誌『箱根小田原物語』にも真っ先に賛同してくださるなど、文化や音楽に対して理解のある柔軟な心の持ち主である。それは、杉山さんのルーツにあるかもしれない。

明治27(1894)年に発行された『函山誌』(松井鎧三郎著・国立国会図書館蔵)によると、湖畔の第一鳥居から第三鳥居の間に住んでいる人たちは、何らかの形で箱根神社に奉職しており、その地域に住まいがあった杉山さんの先祖は、箱根神社の伶人(楽師)だったと書かれているという。杉山さんは、学生時代には音楽サークルに入り、コンサートの企画・開催を手がけていたそうだが、それも伶人だった先祖との縁のような気がしないでもない。

杉山さんは、箱根で生まれ、箱根で育った。

「箱根を離れたのは、大学時代の4年間と卒業後、京都のホテルに勤めていた3年間の7年間のみ。それからずっと箱根です。誰でもそうだと思いますが、故郷が一番好きな場所。その場所で、私を含め、地元でもともと商売している人たちが、観光できちんと収入を得られるようにしなければなりません。そのためには、いわゆる“箱根ブランド”に磨きをかけて、皆さまに来ていただけるように創意工夫していくことが大事です。もちろん、一人では何もできませんから、折に触れては、私の考えを皆さんに伝え、想いを同じにする人たちといろいろ取り組んできました」。

今年、ここ10年務めてきた箱根温泉旅館ホテル協同組合副理事長を退き、すべての公的な役職から離れた。しかし、「これまでやってきたことは、一つの過程であり、これでよい、というゴールではありません。これからも現役時代と変わらない想いで、箱根のために力を尽くしたいと思っています」。

“箱根の観光への心棒”をしっかり作って、どんな状況でも“ブレない箱根”にしていくことが大切だと語る杉山さんの箱根愛も決してブレることはない。

箱根の自然はどこにも負けないと感じている杉山さんの、中でも一番好きな風景は、少年時代、母・節子さんの沼津にある実家に遊びに行き、帰りのバスが箱根峠に差し掛かった時に目に飛び込んでくる駒ヶ岳とその左手にそびえる神山の雄姿だったという。

「澄んだ水を湛えた芦ノ湖が、湖尻の方まで広がっている。洋画家・中川一政もこの風景に魅せられ、多くの作品を残していますが、この景色を見ると、子ども心になぜか安心しました。その当時と比べると建物も増えていますが、何にも替え難いこの風景は、いつまでも変わらないでほしいと思いますね」。

増えた建物の一つが「和心亭豊月」である。いま箱根峠から見える駒ヶ岳は、杉山さんにとってさらに大切な風景に違いない。

【和心亭豊月】

■250‐0522神奈川県足柄下郡箱根町元箱根90‐42

■電話:0460‐83‐7788

■アクセス:箱根湯本駅から箱根登山バス(H路線またはK路線)神社入口」約40分

      「箱根神社入口」下車。送迎バスあり。


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