金子皓彦さんを初めて知ったのは、平成18(2006)年6月5日の朝日新聞紙上だった。そこには、「箱根細工 情熱の収集 18年かけ1万3000点…『できるだけ多くの人に見せたい』と保管、展示してくれている所を探している。」と書かれていた。
「箱根寄木細工?その保管、展示場所は、箱根のほかにはない」と考えた私は、箱根町出身の実業家・故大場庄之助氏が箱根宿に開館していた「函嶺ふるさと集蔵館」の支配人・湯川元久さんに連絡をした。「一度お会いしてみてください」という湯川さんの言葉を受けて、当時、東京女学館大学の教授だった金子さん(昭和16・1941年11月1日~)を訪ねた。金子さんは、申し出を快く引き受けてくださったが、残念ながら「函嶺ふるさと集蔵館」は、それからまもなく閉館となってしまった。しかし、「貴重な寄木細工は箱根にあるべきだ」という私の想いは変わらず、機会あるごとに金子さんを箱根の美術館などにご案内した。
そして、出会いから7年後の平成25(2013)年、箱根ガラスの森美術館の岩田正崔館長がヴェネチアングラスのミルフィオリと寄木細工を組み合わせた「―時空を超えた東西の技―モザイク美の世界」展を開いてくださり、私の夢の一部は叶えられた。
現在、金子さんの寄木細工コレクションは、海外に輸出されたものをイギリス、ドイツ、アメリカなどに赴いて買い求めたものを含め、10万点余。また、金子さんのコレクションは、寄木細工だけでなく木象嵌、陶磁器、横浜芝山漆器ほか20種と多岐にわたり、その数は約20万点に及ぶという。
「これはもうつける薬のない病気ですね(笑)」と語る金子さんの収集歴は、河原できれいな石ころをポケットいっぱいに拾っていたという少年時代に始まる。小学校低学年の頃、授業で土器の話を聞いて、土器や石器に興味がわき、家の近くの野山を歩き回って土器の破片を集め始めた。高学年になると、すでに、「考古学っておもしろそうだな」と考えたという。そして、高校3年生に時に、小田原の下曽我にあった病院の改築現場で、奈良、平安時代の器のかけらや水田や井戸の跡、古い木材などを初めて目の当たりにした。詳しいことを知りたいと担任の先生に相談したところ、國學院大學に考古学の第一人者・樋口清之先生がいると教えてもらった金子さんは、早速訪ねて教えを乞うた。それが縁で國學院に進学。その後、同大学の考古学資料室学芸員として勤務。熱心な骨董コレクターでもあった樋口先生と一緒に骨董市巡りをしながら、先生の品定めの仕方や解説を聞いているうちに、金子さんの収集癖は、ついに“不治の病”となったわけだ。
箱根寄木細工を集め始めたきっかけは、骨董市で並んでいた小さな小箱を見つけたことだった。
「このままだと日差しを浴びたり、雨に濡れたりしたら、ダメになってしまう」と考えた金子さんは買うことにした。そして、「この小箱はいつ、どこで作られたのだろう」と、箱根生まれの小田原育ちだった金子さんは、幼い頃から見慣れていた寄木細工に改めて興味が湧き、そこから100個、1000個と怒涛のように収集するようになり、ついには10万点。そしてその数はいまも増え続けている。
「私のコレクションには、B、C級のものも多くあります。A級品だけを売ってほしいと言われることもありますが、どの品にもそれぞれの歴史がありますから、A、B、Ⅽ級すべて、一緒に集め、散逸させたくないんです」。
「私には『シーボルト・コレクション』という一つの目標があります。彼のコレクションも、決して高級品ばかりではありませんが、日本の歴史や風俗をいまに伝えてくれています。いつの日か『金子コレクションってすごい!役に立つ!』と褒めてもらえばそれでいいので、これからも集めていきますよ」。
金子さんの病はますます重くなっていくようだ。
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