【プロローグ】 著者:杉山洋美

英語講師をしていた私がライターになり、箱根の情報誌やホームページの仕事に携わるようになったのは、平成になってからである。桜、新緑、紅葉、そして雪景色と、四季折々の美しい景色に包まれる強羅の学校では、“仕事に来た”というよりは、まるで非日常の世界を楽しむ“旅人”のような気分で毎日を過ごしていたものだ。

しかし、箱根の情報を広く伝えるために、資料を読み込み、山を登り、谷を下り、箱根全山を歩き始めた時、その観光気分はすっかり影を潜めた。自分が立っている地面のすぐ下には、古代から積み重ねられてきた幾重もの地層と時間とそこに秘められた深い歴史があることに、いまさらながら気づかされたのだ。

そして、多くの箱根人を取材していくなかで、彼らの活動や想いが箱根の新しい歴史を創っていくことも知った。そこで、いま、私の心に残る平成の“あの人、この人”を紹介していこう。

まずはその前に箱根と私との出会いからお話したい。

初めて私が箱根を訪れたのは、小学校の修学旅行の時である。横浜の小学校からからバスで箱根に向う途中、小田原城前の広場で休憩をし、芦ノ湖畔の宿に着いた。当時、湖畔は現在のような護岸がされておらず、宿の窓のすぐ下には湖水が波打っていた。

翌朝、元箱根から船で湖尻に渡った。乗船した児童たちと桟橋まで見送りに来てくれた宿の人たちとが互いにカラフルな紙テープを投げ合い、「ありがとうございました!」「またいらっしゃい!」と、まるで外国航路に向うような賑々しい歓声を交わすなかで、船は岸壁を離れていった。

しかしながら、一泊二日の旅で、この出航の風景と宿で男子たちが女子の部屋にコショウを撒きに来て大騒ぎをしたことははっきり覚えているが、どこを見学したか、肝心なことはほとんど覚えていない。大涌谷で写した記念写真があるのでそこには行ったわけだが、そこでどんな感想を抱いたかも定かではない。

というように、箱根の風景を初めて目にしたにもかかわらず、心に残った景色を思いつかないというのは、のちに箱根に大いにかかわることになる私としては、ひどく感受性に欠けた感性の持ち主だったのだなあ、と思う。

ただ一つ、帰路で乗った電車がジグザクに下って行ったことは、驚きとともに、いまでも楽しい思い出として残っている。箱根登山電車だ。

 それから数年後、大学生になった私は、二度目の箱根行の機会を得た。夏休みを数日後に控えたある日、同じ大学に通っていた高校時代の友人に出会った。夏休みの予定を聞くと、クラスメイトが芦ノ湖畔に住んでいるので、そこに行くという。私は、その人とは全く面識はなかったのだが、「私も行きたい。行っていいかどうか聞いてみて」と自分でも思いがけないほど熱心に頼んだ。数日後、「来ても良いそうよ」という返事をもらい、私は箱根に向った。

「横浜からどうやって行くのだろう。小田原駅からバス?」と、いまから考えると笑えるくらい箱根についてよく知らないのに、「どうしても行きたい」と思ったのはなぜだろう。思うに、それはたぶん、小学生の時に見た風景の残像が、無意識の中で心の奥底に眠っていたのではないだろうか。

 バスでくねくねした山道を上り、芦之湯を過ぎて下り坂にさしかかったとき、突然、目の前に現れた芦ノ湖。夏の陽光を浴びて輝く湖水を見た時のハッとするほどの感動は、いまも鮮やかに蘇る。いま考えると、これが、私が箱根に魅せられた瞬間だった。

 友人たちは、毎日、アルバイトに出かけた。私は、彼女たちが帰宅するまでの時間、読書したり、散策したり、湖畔に腰かけて篠笛を吹いて過ごした。

それから数十年後に、私は箱根の仕事に没頭するようになる。それは、その当時はまだ龍神伝説についても知らなかったが、私が吹く笛の音が湖水深くに棲むという龍神に届き、「おまえはいつか、箱根のために尽くせよ」と、龍神が私に命じたからに違いないと、勝手に物語を作っている。では、本題に入ろう。