あじさいと琵琶の音が彩る深山の寺 阿育王山 阿弥陀寺 第38代住職 水野賢世さん

徳川家菩提寺「増上寺」の末寺である「阿弥陀寺」は、弾誓上人(たんせいしょうにん/天文21・1552年~慶長18・1613年)によって開かれたお寺で、塔之沢温泉郷を麓に抱く塔ノ峰(標高566m)の中腹にある。皇女・和宮の御念持仏の「黒本尊御代仏」が遷座されており、和宮の香華院として知られている。あじさいの季節には、参道や境内は約6千株ものあじさいに彩られ、“あじさい寺”としても親しまれているが、このあじさいは、賢世和尚が約50余年前から、一株、ひと株、挿し木して育ててきたものだ。

阿弥陀寺へは、箱根登山電車の「塔ノ沢」駅で下車し、約20~30分ほど急峻な山道をほぼまっすぐ上っていく。この古くからの参道のほかに、やや緩やかな別の道もあるが、これは水野賢世和尚が何年もかけて切り拓いたものだ:。神奈川県平塚市の「浄土宗 大念寺」の次男に生まれた賢世和尚は、なぜ阿弥陀寺の住職となり、道を造り、あじさいを植え続けていったのか。

少年時代、良寛さんや一休さんの本を読み、お坊さんに憧れていた賢世和尚は、大正大学社会福祉学科に入学。卒業後の進路を考えていた時に、夢に山寺が出てきたという。

「草花を育てながら皆と語り合うことができる山寺のお坊さんになろう、という夢が膨らみました。その夢を実現できるお寺を探していた時に、箱根の塔之沢の山中に山寺があることを聞き、訪ねてみると、まさに夢で見たような茅葺き屋根の山寺でした」。

昭和42(1967)年のことだ。当時、阿弥陀寺には、78歳になる水野賢海住職と16歳年下の円心尼夫妻が住んでいたが、檀家は3軒しかなく、老朽化の激しいお堂は荒れ果て、壁板は隙間だらけ、畳も50年以上変えていないという貧しい寺だった。また、賢海夫妻には子供はなく、寺の跡継ぎも見つかっていなかった。賢世和尚は、「なぜそんな貧しいお寺に行くの」という実家の母の大反対を押し切って、賢海住職夫妻の養子に入った。そこから道を拓き、あじさいを植え、お堂を修復し、“お葬式や法事でお話するより、生きている人々との出会いも大切にしたい”と、賢世和尚の血がにじむような取り組みが始まり、山奥に佇む“花の寺”として広く知られるようになったのである。

花の季節以外にも、人々がお参りに来るお寺にするために、賢世和尚は、さまざまな工夫をしてきた。最初に私が取材で訪れた時、本堂からは、尺八の音色が響いてきた。次に行ったときには、大正琴、そして筝と、行くたびに違う楽器を奏でている和尚がいた。そして、最後に琵琶。賢世和尚は、57歳で琵琶を手に取り、わずか一年半で奥伝を取得。64歳で日本琵琶楽協会開催の「日本琵琶コンクール」で3位を獲得。67歳で1位に輝いた。3位を取ったころから布教方法の一つとして始めた“琵琶説法”は、人々の心をつかんだ。今日も山奥のお寺から、深い琵琶の音色と賢世和尚の朗々たる詩吟が流れてくる。

【阿育王山 阿弥陀寺】

■〒250‐0315神奈川県足柄下郡箱根町塔之沢24

■電話:0460-85-5193

■アクセス:箱根湯本駅から箱根登山電車「塔ノ沢」下車徒歩約20~30分。

箱根湯本駅から徒歩約40分。


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